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ラブレターフロームカナダ

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幸子の日記2、24~最終話

第24話、四面楚歌

コアラちゃんは私の新しい恋の出現にとても喜んでいるようだった。

「もし困ったことがあったらなんでもいうんだよ、
幸子の幸せのためなら私はなんだってするからね」

コアラちゃんはやさしい子だった。
いつも私の立場になって私の為に行動してくれたり
助言をくれる、彼女からは学ぶものが多かった。

こういう友達は初めてだった。
日本にいたとき
親友と呼べる友達もどこかで私の人生を馬鹿にしていた。
30才になろうとしていたのに彼氏を作ることもできず
妻子持ちの男に騙され続けていたもの一つの理由だったのかもしれない。
いつしか友達の間では「負け犬幸子」というあだ名がつけられていた。
私は友達間でそんな風に言われているとは夢にも思っていなく、
彼女達を親友だと思い続けていた、
気の置けないお互いを敬う仲だと信じていた。

「幸子、言いにくいんだけどね、、気にしないでね、、」

私たちのグループの中で一番やさしい子が忠告してくれた。
「負け犬幸子」と聞いたときはさすがにショックだった。
信じていた分傷は深かった。
その頃から私の交際相手の男性も私を避け始めた。
ちょうど事業を起こす為のお金を彼に渡した後だったので
私は用無しになってしまっていたんだろう。
また同じ週に財布をすられたりもした。
悪いことがどんどん重なって
私は四面楚歌だった。


その夜ニックから電話があった。

「金曜日の夕方こっちを出るよ、ダウンタウンに着いたら電話するからさ、
どっか飲みに行こうよ、
あ、それと今回はプレゼント付きだからね、美人な幸子に似合いそうなもの
みつけたんだ」

ただただ彼が来るのが待ち遠しかった。
私の心をくすぐる甘い言葉を耳元でささやいて欲しかった。

第25話、彼の子犬


「フェリーの上での食事、不味いって分かってても毎回食べちゃうんだよね」

私たちは初めて出会ったバーに来ていた。

「でも、幸子に会うためなんだから我慢しないと、、」

彼は目を少し細め嬉しそうに私の方を見た。
長いカールがかっているまつげが美しかった。
その奥にはエメラルド色のかわいい子犬を見るような
優しいまなざしがあった。

私は彼の子犬だった。

やさしくなでてくれたり、抱きしめてくれたり、
時にはじゃれたり、
彼は私をとても大切に扱ってくれた。

「ハイ、これ、開けて見て」

私の目の前に綺麗にラッピングされた大きな箱が置かれた。
中を開けてみると淡いピンクのモヘアのセーターとツイードの短いスカートだった。
上下のピンクは全く同じ色をしていて、セットらしく
V字の深いセーターは、
中にキャミ系を着れば十分セクシーにもなるような感じだった。

「明日はね、これ上下を着て僕とダウンタウンを歩くんだよ、
幸子は美人なんだからもっと美人が着るような服を着ないとね」

居心地が良かった。
彼といると「幸福」っていうものの存在を信じることができた。
彼はずっと私を美人な女でいさせてくれた。

二人でホテルに戻った後、
私はその日もらった服を着て彼に見せた。
彼はワイングラスを片手にもちながらソファーにゆったりと座り
私のファッションショーを何も言わずに楽しそうに見ていた。

夜が更けようとしていた。
二人で過ごす夜がこんなに楽しいことだと彼が教えてくれようとしていた。
「愛されること」の意味のアウトラインが少しだけ
見えてきているように思えた。

彼にもっと愛されたかった。
彼の子犬でずっといたいと思った。

第26話、魔法

彼のリクエストに応え土曜日はピンクの上下を着た。
31歳の私には若すぎる感じがしたが、
彼の煽てに乗せられて、気がつけば着ていたという感じだった。

想像していたようにピンクのモヘアの下に黒のキャミを着れば
かなり色っぽくなった。
素敵な男性にすすめられた普段着ない素敵な服を着るということは、
自分がとても特別な女性という感情を与えてくれた。
卑下していた自分の体全てがとても大事で素敵なものだと思わさせてくれた。


朝食を終えた私たちはそのままロブソン通りに出た。
彼に手を引っ張られ連れて行かれたところは一軒の靴屋だった。

「ブーツがいるんじゃない?」

彼は店を見渡すと
めぼしそうなブーツをかき集めて
その靴全部を定員に渡し、私のサイズを持ってきてくれるように
頼んでいた。

私はただ椅子に座り、店員がもってくるブーツをはいては鏡の前に立つ。
彼が人差し指でくるくるっと宙に丸を描へば
私は彼の前でくるっと回って見せた。

私は映画の中の女になっていた。
日本のユニクロでいつもバーゲン見つけては買いあさっていた女が
今は映画の主人公のように靴を探す、
私にとってはとても特別な時間だった。

「幸子、それがいいよ、それにしな」

それは赤茶色のブーツだった。
上の淡いピンクともとても合っていてそのトータルファッションは
私を都会の女の子にさせてくれた。

会計を済ませた後、
私はそのままその靴を履いて店を出た。
店を出るなり、

「幸子、もう一度くるっと回ってみて」

ロブソン通りの人が行きかう中で彼が聞いてきた。
とても恥ずかしかったが彼に言うとおりに
小さい円を描くようにくるっと彼の前で回った。

回っている途中、クラスメートの若いかわいい女の子集団が私の目に入ってきた。
私をいつも無視するコリアンの男の子達が追っかけている集団だった。

彼女達は私たちを見ていた。
私からすればすごく特別な日を見られていたのだが
彼女達からすれば、これが私の普段の生活と写ったかもしれない、

回り終えた私をニックはきつく抱きしめてくれた。

「やっぱり君は美しいよ、僕はなんてラッキーだったんだ」

その台詞は彼の甘い吐息とともに私の耳元でささやかれた。
彼の肩越しにまだ彼女達の姿が見えていた。

私は川の反対側の昔からずっと憧れていた岸に立っていた。
自分には絶対に縁のないものと諦めていた岸だった。

ニックが魔法をかけてくれた。

第27話、出航

それから毎週末ニックは足しげくバンクーバーに通ってきた。
こちらに来る時
彼はいつもなにかプレゼントを持ってきた。
綺麗な女の子が身につけるものをたくさんプレゼントしてくれた、
それは絶対に私には縁のないものと思っていたものばかりだった。

「幸子はおでこがとっても美しいんだから、出さないと、、」

彼の言うとおりに、髪型を変えたり化粧品も変えたりした。
私はどんどん綺麗な女と呼ばれる部類の人間がするスタイルを身につけていった。


「幸子~最近本当に綺麗になったよね~ニックと恋愛がうまく言ってる証拠だね、うんうん、いい男捕まえたよ!私も嬉しい~!」

コアラちゃんは駆け引き無しで私の幸せを喜んでくれた。
彼女は私の一生に一度出会うか出会えないかの親友になっていた。
ニックのこと、コアラちゃんのこと、私はこの素敵な人達に出会える人生をくれた
神様に感謝したい気持ちでいっぱいだった。

「ねえねえ、幸子さん、前一緒に歩いていたカナディアンって
彼氏ですよね?いいなあ~あんな素敵な人、私もカナディアンの彼氏が欲しい~」

クラスの若いかわいい子グループは私をいつも羨望の眼差しで見ていた。
ちょっとくすぐったかった。

「運がよかったのよ、偶然よ、、」

「わたしなんかコリアンの男の子ばっかりに言い寄られている、、
本当はカナディアンがいいんだけどな、、」

私は照れ笑いしながら左の薬指を見た。
そこには先週ニックからプレゼントされたPROMISE RINGが光っていた。
真ん中に小さいダイアが入っていた。
その小さいダイヤはニックで、
私はリングだった。
きらきら光っているダイヤを失えば、
リングだけの価値なんて全くなかった。
ニックが私に彩を与えてくれた、
自分が価値のあるものだと教えてくれた。

私の人生に風が出てきた。
私の乗った船は今大きな帆を揚げて出発しようとしていた。

嵐はとうの昔に過ぎ去ったものだと信じていた。

第28話、難題


少々浮き足立っていたのかもしれなかった。

クラスの女の子達は素敵なニックと付き合っている私に一目置き始めた。
ニックの魔法でだんだん綺麗になって行く私に
積極的にアプローチしてくるコリアンもいた。

ただニックのいない平日が寂しかったのかもしれない。

ダウンタウンを一人歩けばよく声をかけられはじめていた。


「幸子じゃない?」

懐かしい声に振り向くと
そのにはマイクが立っていた。

「びっくりしたよ、見違えたよ、すごく綺麗だよ、、」

私の胸は少し弾んだ。

「立ち話もなんだし、どこか行かない?おなか空いてない?」

何故断らなかったのかわからなかった。
その日は木曜日、明日はニックが来る予定だった。

マイクの手はエスコートするかのように私の肩にそっと置かれていた。
その手はレストランを出たときには
腰の辺りに来ていた。

「どっか飲みに行こうか」

私は何も言わなかった、
マイクはそれを「YES」の返事ととったのか、
腰に当てた手に力をいれて私を強引に引き寄せた。
彼の両腕は私をきつく包んだ。

「僕は馬鹿だな、、なんでこんな美しい幸子を手放してしまったんだろう、、」

ずっと昔に聞きたかった言葉を彼が言った。

「僕にまたチャンスをくれない?」

私の耳にキスするように彼がささやいた。
彼の腕をほどこうとしたが
彼は少し酔っていたのかびくともしなかった。
私は動けなかった。

決断は私の手の中にあった。
過去に戻ってマイクとやり直すか、
過去を断ち切って前を向くか、、。

マイクとは辛い思いでも多かったが
彼はずっと優しかった。
初めて私を日向で歩ける女にしたのも彼だった。

色んなものが絡みすぎていた。
今思えば答えを出すことはとても簡単なことだと
思えるのに
そのときの私には解けない数学の方程式のように
難しかった。

まだ前に進めずにいた。

第29話、ペース


バーに着くとマイクはマティーニを2つ注文した。
私がいつも頼んでいたものを忘れずに覚えていてくれた。

その日はニックにもらったツイードの短いスカートを履いていた。
椅子に座ると短いスカートがもっと短くなった。
私はスカートのすそを少し引っ張るとその上にスカーフをおいて
足があまり見えないようにした、。

マイクは世間話を始めた、
仕事のこと交友関係のこと、いつものごとく彼の近況をこと細かく教えてくれた。

「幸子は最近どうなの?」

懐かしい眼差しが私を見ていた。

「え、う、うん、、、」

何故だかわからなかったが、マイクにニックの話はしたくなかった。

「僕にチャンスを頂戴、、」

甘い吐息とともに
彼の唇が私の唇を覆った。

長い深いキスだった。
お酒を少し飲みすぎたのか私は何も抵抗が出来なかった。
ただキスをするだけの無言の時間がすぎた。

「少し酔いを覚ましてから帰ったほうがいいよ、送っていくし、、」

酔いがさめてから送ってもらおうと思った。
ただそれはニックへのただの言い訳であり
マイクの部屋へ行くための口実でもあった。

もう二度と来る事も無いだろうと思っていた部屋は
あの時のまま何も変わってなかった。

ソファに腰をかけると
マイクはワイングラスを持ってきてくれた。
私はそのままワイングラスにたっぷり入った赤い飲み物を見ていた。
魔女が作った毒薬のように見えた。

もしこれを飲んでしまえば私は過去を振り向いてしまうかもしれない、、、
もし飲まなければ過去を断ち切れるかもしれない、、。

そんなことをおぼろげながら考えていたにもかかわらず、
気がつけば口をつけていた。

マイクはやさしく私を引き寄せた。
長い長いキスが交わされた。
私は短いスカートからむき出しになった足のことなど忘れるぐらい
酔っていた。

完璧にマイクのペースに乗せられていた。

第30話、沈黙

「マイク、ちょ、ちょっと待って、、、」

マイクは私の首筋を愛撫していた。
そこにはニックからもらった小さいダイヤのついたペンダントが光っていた。

「こういうことする前に言わなきゃいけないことがあるの、、」

ニックとのことをけじめをつけずにマイクの胸に飛び込むと、
二人を騙すことになる、
誰かを騙すことは二度としたくなかった。

「私付き合っている人がいるの」

マイクは座りなおしてゆっくり私の方を見た。
私は肩から落ちたセーターを首の辺りまで引っ張りながら話を続けた。

「彼がいるのにこういうことできないわ」

私の声はうわずっていた。
彼は少しびっくりした様子だった。

「彼のこと愛してるの?」

しばらくして、彼が聞いてきた。

「ええ、、」

「じゃあ、僕のことは、、」

言葉につまった。
愛していないとは言えなかった、まだ彼を心のどこかで慕っていた。
だが愛しているとも言えなかった、
言えば今夜は帰れそうにもなかったからだ。


彼はそれ以上聞かなかった。
そのまま車で私の家まで送ってくれた。

「見違えるほど綺麗になってびっくりだよ、、その彼が幸子をここまで綺麗にしたんだね」

重い空気を切り裂くように彼が話しだした。
彼の横顔は対向車のライトに照らされていた。

「彼にすごく嫉妬してしまっているよ、、、」

彼は照れたような悲しいような顔をしていた。
そんな顔を愛しく、抱きしめたかった。

「でも、僕は幸子を諦めないよ、、」

ちょうど私のアパートの前に車をつけたところだった。
彼はエンジンを止めて
私の方を向きなおし、真正面から私を見つめてきた。
彼の視線が強すぎた。

「また会ってくれるよね?普通の友達としてでもいいから
会ってくれるよね?幸子が嫌がることは絶対しないから、、」

ただ、「NO」と言えなかった。
何も言えなかった。
まだ彼のペースが続いているようだった。
完全に私は負けていた。

その日を境に私の2重生活がはじまった。
ニックはマイクの存在を知らなかった。
マイクは私の心が決まるまでずっと待っていると言った。

どうしていいかわかんなかった、
二人とも愛していた。
第31話、ビザ


ニックが私の部屋にやってきた。
その日はホテルではなく私の部屋に泊まる予定だった。
毎週末私に会いにやってきてくれる。
そのたびにフェリー代、プレゼント代、ホテル代、全て彼が払っていた。
あまり彼にお金を使って欲しくなかったので
私から提案したものだった。

「これさ、ちょっと試作なんだけど食べてみてくれる?
幸子の意見が聞きたくて持ってきたんだ、、」

ニックは緑色したクッキーを差し出した。

「幸子と付き合いだしてから、幸子のイメージでなんかつくりたくってね、」

抹茶クッキーだった。
ニックはビクトリアでローカルのカフェを経営しているという。
一度も見たことがなかった。

「うん、美味しい、甘すぎず抹茶の香りも残ってるし、これならいけるかも、、」

ニックは嬉しそうに私を見つめていた。
昨夜の出来事がなんだか馬鹿らしく思えてきた。
どうしてマイクの家まで着いていったのだろうか、
お酒のせいだろうか、
寂しいとはいえ、男の家まで着いていくなんて最低な女がすることだ。
あの時点で帰れたことがせめてもの救いだと自分に言い聞かせた。

「このクッキーね、もう名前つけたんだ、“Green tea cookies,SACHIKO”っていうんだ」

抹茶クッキーのSACHIKOは見た目は緑色でへんなクッキーだが、
食べるとそれほど甘くなくとても美味しかった。

「私も彼からすればそうなのかな、、」

心でつぶやいた。
彼はしばらく私を見つめていた。
床にすわりぼりぼりとクッキーをむさぼり食っている女を愛しそうに見つめていた。

「幸子に聞きたいことがあるんだ、、ちょっと遠すぎるから僕の横に座ってよ」

カウチに座っていた彼が手招きをしながら言った。
彼の言うとおりにすわった。
彼はすぐに私の肩を抱き寄せ、そして私の髪の毛の匂いをかぐように
鼻を私の頭に摺り寄せた。

「来年からどうするの?っていうか、学校の勉強が終ったら日本に帰るの?」

彼は少し照れたように話した。
愛らしい顔だった。

「提案なんだけどさ、学校終ったらビクトリアに来ない?
できたら僕のカフェを手伝って欲しいんだ、、」

「え、でも私ビザが来年の3月で切れちゃうから、、それに私のビザは働けるビザじゃないし」

「ビザについてね、調べたんだ、僕と一緒に住めばコモンローっていうビザを申請できるらしい、、」

初めて聞くビザの名前だった。

「コモンロービザって?」

「愛し合っている恋人に出してくれるビザのことだよ」

彼の耳が赤かった。
真剣に考えてくれているらしかった。
ただその場で返事ができずにいた。
何かが引っかかっていた、バンクーバーから離れるのがこわかったのか、
それともマイクへの未練なのか。

夢にまでみた申し出だった。
素敵な男性が形をもった愛を与えてくれようとしている、
それは今までの口約束とは全く違っていた。
ごまかされることのない形のあるものだった。
それに
彼の容姿や職業は私を負け犬呼ばわりした友人達を見返すのには十分だった。
そう、十分な、いや十分すぎる申し出だった。
なのに私の口からついて出た言葉は

「ちょっと考えてもいい?」

だけだった。
救いようのない馬鹿だった。

第32話、経験


「幸薄い女」というのは私みたいな女の事をいうのだろうか?
幸せが天から雨のように私の元へ降り注いでいるのにそれを受け止めることができない。
ただの臆病なのか、自分の人生を変えたくないだけなのか、
男に頼りたくないのか、それとも彼が運命の人ではないのか。

自分に何度も問いかけてみた。
ウサギのようにしわがないだろうと思われる自分の脳みそで
何度も何度も考えたが
それでも答えはみつからなかった。

それからも平日はマイクと会った。
彼は以前とは違い、私を壊れやすいおもちゃのように大事にしてくれた。
マイクは毎晩会いたがったが
私のほうも宿題やらクラスの友達との約束もあるので
週に2回会えればいい方だった。

彼に会うときはいつもニックにもらったセクシーな服を着て行った。
マイクの反応が楽しかったからという理由もあったが、
彼の前で素敵な女を演じて気を引きたかった。
まだ捨てられた恐怖心が残っていたのかもしれない。
ただただ彼の気持ちを離したくなかった。

私は彼を愛していると思った。
私をつっぽり包む優しいハグは私を幸せにしてくれた。
彼の長いキスはニックを私の心の隅へと追いやっているようだった。
彼といるときはニックのことは忘れて楽しむことができた。
ただ居心地が良かった。

かれにフラれたあの日以来、ずっとずっと私が欲しかったものが手に入ろうとしていた。
それを手に入れて喜びをかみしめたかったのか、
それとも私は過去にただしがみついていただけだったのか、
そんな疑問がたくさん頭をかすめたが、私の心は
彼に会うたびに幸せを感じていた。

彼のベッドルームへのチケットも私の手中にあった。
入りたくても入れなかった彼のベッドルームのチケットがある
それを使って入ってもいいし、そのまま破り捨てて使わなくてもいい、
私が好きなようにできるチケットは私に女としての余裕を与え楽しませてくれた。

美人な女はいつもこういう余裕があるのだろうか、
美人とは程遠いブスな私がおぼろげながらそんな感覚を味わえたことは
素敵な経験だとも思えた。

私はマイクをおもいっきりじらしていた。

ただそんな生活も長くは続かないだろうと
どこかで感づいていた。
私がどんどんとあの妻子持ちの男に似てきていたからだ。

そんな人間を神様はそのままにしておくわけはなかった。
自分のした事は自分に返ってくる。
過去の経験から痛いほど学んでいた。

第33話、BUUUU


ゾウさんがずっと文句を言っていた。
文句を言い過ぎているのか昼食のパスタが全く進まずにいた。

彼女は私より少し後にカナダに来た。
一年をとうに過ぎている彼女の滞在は終ろうとしていた。

「アルバートったらね、何にも言わないのよ、
今度カナダに来たら連絡してよね、ってそれだけなんだよ、、本当ムカつく」

アルバートとはゾウさんのテンポラリーな同棲相手だった。
まだ一度も会ったことのない彼なのに、
花柄のブリーフが彼のお気に入りなことまで知っていた。

「帰らないで、ぐらいいえないのかね、あいつは~~」

ゾウさんは日本に彼氏を待たせている。
彼からプロポーズされているけれど返事できずにたらしい、
どうしてもハーフの子供が産みたいらしく
それが彼との結婚を躊躇させていると言っていた。

「それにさ、あいつ最近色んな日本人の女の子に会ってるんだよ、
私が日本に帰るから、その代わりに日本語教えてくれる子探すんだって、もう~」

ゾウさんもなんとかしてカナダの滞在をのばしたいらしかった。
ただ延ばす理由が見つからず、帰る日をただ待つしかなかったらしい。

彼らは割り切ってつきあっていた。
ゾウさんも日本に彼氏がいながらアルバートと同棲していた。
彼も彼でゾウさん以外に複数の日本のセックスフレンドがいるらしかった。
どうしたらこんなに割り切って付き合えるのか不思議なぐらいだった。
私もこれぐらいドライになって恋愛をすれば
もっと楽しい人生を送れたかもしれないと思った。

自分の割り切れない恋愛を考えていた。
二人とも愛していた。
二人を諦められないのなら
3人一緒に暮らせれば、
などと女ハーレムみたいな馬鹿なことも考えたりした。

夜はマイクに会う予定だった。
その日の朝はあえて私が持っている下着のなかで一番不細工なのを履いてきた。
ポップな豚の絵が軍艦パンツの上に飛び散っていて
ちょうどお尻の部分に“BUUUUUU”と書いてあるパンツだった。
豚の鳴き声を書いたようにみせかけていたが、
それはまさにおならの音を文字にしたものだった。

昔ウサギちゃんと一緒に買った物だった。
誰かの誕生日に冗談で上げようと思っていたものが
その日活躍していた。

そうでもしないとニックへの操を守るのが難しかった。
小学生用の豚パンツをはいた姿は見せられるはずもなかった。
お尻に“BUUUUUU”なんて洒落にもならなかった。
情けない女だった。

第34話、BUUUU2


「ねえ、明日は何をするの?」

私たちはバーに来ていた。
マイクのマティーニを持つ手が好きだった。
大きな手で透き通ったグラスを軽く持っていた。
そのグラスを口につけ最後の一口を一気に飲み干した。
グラスから注がれるマティーニが喉を通っていく、
薄暗いライトの中ぼんやり見える横顔はとてもセクシーだった。

「明日はね、ニックに会いにビクトリアに行くの」

彼の反応が楽しみだった。
彼の悲しい顔を見たかった。

「何時のフェリー?」

私の予想とは反し彼の表情は全く変わらなかった。

「え、えっと、学校が昼で終るから、夕方のフェリーかな、、」

「じゃあ一緒にいこうよ、僕も両親の家に行かないといけないんだ」

「い、いやよ、ニックに見られたらどうするのよ、、」

「大丈夫だよ、彼の家の前では下ろさないからさ、
それに僕もビクトリアに行くのにPCL乗るなんて馬鹿らしいよ、、、」

返事はしなかった。
どうしていいかわかんなかったからだ。
確かにマイクと一緒に行けば楽しいし楽だ。
でももし見られて時のリスクを考えると
ちょっと躊躇していた。
マイクはいつものごとく私の肩に手を回してきた。

「明日さ、5時ごろ迎えに行くよ、6時のフェリーにしよう、、」

彼が耳元でささやいた。

「楽しみだな~、幸子と一緒にビクトリアに行けるなんて、、」

「でも別行動だよ」

マイクは私を抱きよせようとしていた。
それを私は軽くひじで押し返した。

まだマイクの胸に飛び込んでいく決心がついていなかった。
一度はなくしたものの、
彼の胸はまだ暖かく
前と変わらず広かった。
私をつっぽり包んでくれるのには十分だった。

それにマイクといると心が安らいだ。
私の2重生活をそのまま受け止め
それでも待っていてくれる。
彼の前では嘘をつかなくてよかった。

もしニックがこのことを知ったらどうなるだろうか。
彼の反応を知るのが恐かった。
絶対知られたくなかった。

気がつけばマイクの肩に頭をもたげていた。

酔いすぎていて自制心を失おうとしていたが、
軍艦パンツだけは忘れずにいた。

第35話、リスキー


マイクは5時半になってやっときた。
6時のフェリーには間に合いそうになかったが、
とりあえずフェリー乗り場まで向かった。

6時過ぎに着いたときには長蛇の列ができており、
結局8時のフェリーに乗ることになった。
彼の家には10時をとうに過ぎる時間だった。

私たちは車で列を外れることもできず、かといって
歩いていけるレストランはどこにもなかったので、
フードコートでちょっとしたものを買ってきて
車の中で食べることにした。

「今日は昨日より綺麗だよ、きっとニックに会うからだろうね
僕よりニックってことか、、」

すねた小さい男の子みたいだった。
この両腕で抱きしめてあやしてあげたかったが、
それは無理だった。
ただ私たちは車の中で何気ない会話を続けていた。
とても楽しい時間が過ぎ、今が永遠に続けばいいと思った。

フェリーに乗った後ニックに電話をした。
少し遅くなることを告げなければならなかった。

「今ね、フェリーに乗ったとこなんだ、ちょっと遅くなるかも、、」

少しだけ胸が痛んだ。

「そっかあ、じゃあ、ダウンタウンに着くのは10時ぐらいだね、
早く幸子に会いたいからフェリー乗り場まで迎えに行くよ、、」

マイクがいなければ素敵な申し出だった。
ただニックに迎えに来てもらうより、
もう少しマイクと一緒に居たい気持ちが勝っていた。

「え、うん、でもいいよ、PCLのチケットダウンタウンまで買ったし、
もったいないからこれ使う」

「じゃあ、ダウンタウンのバス乗り場で待ってるよ、」

「着いたら電話するから家で待ってて、お願い、、」

見られるかもしれなかったからだ。

フェリーは無事時間通りにつき、
私たちはダウンタウンに向かった。
バス乗り場の2ブロック手前で止めてもらう約束をした。
もしかしたらニックがバス停で待っているかもしれなかったからだ。
念には念を入れた。

マイクは車を止めて右方向を指差した。

「ここをまっすぐ行けばすぐに見つかるよ、1ブロック先にバス停があるよ」

トランクから私のかばんを取り出してくれた。
それを地面に置くと彼は私に両手を広げてきた。

「さよならのハグして」

私をからかおうとしていることは十分に分かった。
ニックがいるビクトリアでそんなリスキーなことは出来る筈がなかった
それを無視してかばんを取ろうとしたとき
彼に引き寄せられた。
体が少し浮いた。
気がつけば彼の腕の中だった。
強く抱きしめられてただ動けずにいた。

彼の肩越しに誰かが見えた。
見慣れた感じの男性だった。

きっとその人はそれが私の日常と思っただろう。
今回はそう思って欲しくなかった。
運の悪い女だった。

第36話、困惑


ニックは私に気がつくとこっちに向かって歩いてきた。

「幸子、よかった着いていたんだね、
遅かったから電話待たずに来てたんだ」

ニックはホッとしたように私の顔をみていた。
ニックは私とマイクが抱きあっているのを見ていたはずなのに
何もなかったように振舞っていた。
何かをしてしまった私の方がぎこちなかった。

「あ、うん、今彼に送ってもらってバス停に行こうと思ってたところだったの」

変ないいわけだった。
もし誰かに送ってもらったのならば、バス停で下ろすはずだった。
私たちが居た場所はバス停よりもワンブロック手前でしかも
街灯がない暗いところに車を止めていた。

ニックはマイクに気がつくと、
彼の方に手を差し出した。

「ニックです、今日は幸子を送ってくれて有難う、」

マイクは少し驚いているみたいだったが、すぐにニックの手をとり
軽く握手をした。

慣れた手つきでニックが私の荷物をヒョイと持ち上げた。

「じゃ、」

マイクの方に向かって軽く手をあげた。
彼は私の方に向きなおした。
軽く私の背中を押した。

「僕の家こっちの方向なんだ、、」

いつもの優しい眼差しだった。

「おなかすいてない?サンドイッチとかなら家にあるけど、
この時間じゃレストランは閉まってるところが多いんだ、、」

何もなかったようだった。
彼はいつもどおり優しい彼だった。
ただ私だけが困惑していた。
ニックが何を考えているのか
どんな考えで毎日生きているのか分からなくなってきた。
明らかに今までの彼とは違っていた。

マイクがどんどん遠ざかっていくのを背中に感じたが、
振り向かずに前を向いて歩いた。

第37話、過ち


ニックの部屋はおしゃれだった。
ワンベッドルームしかない小さいアパートだったが
一人で住むには十分な大きさだった。
ベランダに面した壁一面がガラス張りになっていて
彼の7階の部屋からは素敵なビクトリアの夜景が見えた。

部屋にはシンプルな家具が無造作においてあり、
おしゃれな雑誌から抜き出てきたようなリビングだった。
全てイメージどおりだった。

おなかをすかした私を気遣って
彼はサンドイッチを作ってくれた。
美味しかった。
その美味しさは彼が料理上手だからだと思っていた。
誰かが作ってくれた食べ物がそれ以外の理由で美味しいなんて
そのときの私にはわからなかった。
31歳になってある程度物の有難さとかを
学んだつもりでいたが、
まだまだだった。

去年まで銀行で働いていたニックは
少しばかりの頭金でそのカフェを買い取ったという。
そのカフェは想像と違っていた。
もっとおしゃれで綺麗なところを想像していた。
椅子やテーブルは2つと同じものがなかった。
色んなところからかき集めたような家具は
なんだか汚らしい感じがした。
古い壁紙を隠すように壁一面に若いアーティストの絵が何枚も
飾られており、それがせめてもの救いのようにも思えた。

「これからどんどん変えて行くつもりなんだ」

彼はそう言っていた。
家具を変えたいけれどきっと先立つものがないのだろう。

彼からもらったプレゼントのことを思い出していた。
きっと簡単に買えたものじゃなかったことを
そのカフェが物語っていた。
彼は私の為に頑張ってくれていた、
それに似合うような価値のない私の為に。
そう思うと急に心苦しくなった。

その週末をずっとニックと過ごした。
彼は私を一向に責めなかった。
いつものように優しかった。
私はその優しさが恐かった。
問い詰められてなじられた方がまだ良かったかもしれない。

ニックといると自分の嫌な部分がいっぱい見えてきた。
自分にいっぱいいっぱい言い訳をしないといけなかったからだ。
私は結婚していないんだから自由なんだという言い訳を。
そしてその自由がどれだけ人を傷つけているなんて
考えることもできなかった。

どうして彼を避けだしたのだろうか?
馬鹿な選択をしたとすぐに気がついたが
自分に甘えすぎて引き戻せなかった。

光を受けていく先が見え出した道がまた
光を失おうとしていた。
もと来た道を戻り、もう一度彼に「ごめんなさい」と一言言えば
済んだことかもしれないのに
意地を張って暗くなりかけた道を突き進んでいた。

すでに迷子になっていた。

第38話、吉報


次の週は誰とも会いたくなかった。
ニックが次の週末にバンクーバーに来たいと言っていたが、
学校の宿題が沢山ありすぎて会えないと断った。
マイクの方は断りにくかった。
断っても家の前で待っていたからだ。

出てくるかどうかわからない人を家の前で待つ気持ちは
痛いほど分かっていた。
ただあんな辛い気持ちを誰にも感じて欲しくない、
それだけの理由だったのか
マイクが家まで来れば私は彼を招きいれた。

ニックと会ってからのマイクの行動は少し変わった。
前みたいなアグレッシブなマイクではなくなっていた。
ニックをリスペクトし始めたのか
私に愛の言葉をささやかなくなった。
私たちは老夫婦のごとく
ただお茶を飲んで昔話に花を咲かせたり、
彼の仕事の話、私の将来の話などばかりしていた。

マイクと会うたびにニックが遠ざかっていった。
会いたい気持ちを抑えているのを気づかずにいた。
きっと自分がどうしたいのか自分で決めれなかったからだろう。
私の状況は、小川に落ちた葉のように自分の意思とは反対に
どんどん回りに流されていくようだった。
いつしか私はニックとの思い出を心の奥底に封印しようとしていた。

次の日コアラちゃんが朝一番に私のところに駆け寄ってきた。

「幸子、ちょっと聞いて、私ね、
生まれて初めて彼氏という人ができたかも~」

素直に喜んだ。
コアラちゃんの吉報は
私の暗い気持ちにいくらか光を射した。

「よかったじゃん!もっと詳しく教えてよ!」

彼女の幸せに自分を載せようとしていた。
少しだけ自分の現実から離れたかったからだ。

時間だけがどんどん過ぎていった。

第39話、若さ


コアラちゃんの新しい彼氏はリアルターをしていると言っていた。
リアルターとは不動産屋に属して人々が不動産を売買するのをお手伝いする人たちのことを言う。
そんな仕事をしているせいか
彼はコンドを3つ持っていると言っていた。

「年齢はね、37歳で私より9つ上なんだ、なんかね落ち着くの、年上の方が、、」

コアラちゃんは中学一年の時に両親を事故で無くしている、
そのせいだろうか、彼女が一番最初に選んだ彼氏は9つも上のおじさんだった。

「おなかもちょっと出てるんだ、あ、そうだ、頭もちょっと薄いかな~
でもね、すごく優しいんだ」

まだ彼には会ったことは無いが、
彼女の言葉から想像すると売れ残りの男を想像した。
それにリアルターは歩合制らしく、
物件が全く売れなければお給料はかなり少ないらしい、
不安定な職業は女性に人気がないのだろう。

「コアラさん、カナディアンの彼氏いるんですか?」

それを聞いてきたのは隣に座っていたみきちゃんという子だった。
若いかわいい子グループの一人だった。
いつものごとくこの子もコリアンに人気があった。

「え、うん、素敵なひとよ、」

コアラちゃんが少し照れながら答えていた。

「え~すご~い、会ってみたい!」

あどけない振りを装ってみきちゃんが大袈裟に反応していた。
私には見慣れすぎた光景だった。
こういうのは若い女の特権なのだろうか?
あどけない振りをして厚かましいリクエストをする。
普通なら付き合ったばかりの彼氏を
動物園のホワイトアイガーでも見たいかのように
言うのは失礼すぎるはずだ。

「だめだめ、みきちゃん、付き合ったばかりの二人には遠慮しなさいよ」

私はおもいっきり三十路根性をだして言い放った。

「え、でも~会ってみたいんだもん」

上目遣いにコアラちゃんと私を見てきた。

「じゃ、いいよ、今度あわせてあげる」

「だめだよ~コアラちゃん、もっと二人の時間を大切にしなきゃ、、」

「有難う幸子、会わせるぐらいなんともない、減るものじゃないしね」

それが減るものだと心で叫んでいたが言葉にならなかった。
みきちゃんは若い子特有のはしゃぎで喜んでいた。
どんなことが起ころうと
コアラちゃんの幸せを守ろうと誓っていた。

「じゃ、私も呼んでよね」

ただ私の二の舞はさせたくなかった。
みきちゃんの言動は私をイライラさせていた。

第40話、願い


ニックから電話がかかってきた、
最近の私が変だと言うのだ。
彼の言うとおり私は変だったがそれを隠した。

「なんだか学校がすっごい忙しいんだ、今週きてもらっても会う時間がないかも、、」

そんな言い訳が3週も続けばいくら鈍感な人間でも気がつくだろう。
彼もとっくの昔に気づいているはずだった。
なのにそれでも彼は私を誘い続けた。
私は二人とも愛していた、
心が決まるまで前に進めずにいた。

ぷるるるる~

電話が鳴った、
てっきりニックからだと思った。

「もしもし、お姉ちゃん?」

2つ年が離れた妹からだった。

「なんでもいいから早く帰ってきて、お父さんがねお父さんがね、、」

敏子はなんだかあわてていた。

「ちょっと貸しなさい、あ、幸子、お母さんだけどね、敏子が帰って来いって言ったけど
気にしないでね、お父さんは大丈夫だし、あなたは、、」

「何言っているのよお母さん、ちょっとしゃべらしてよ、
お姉ちゃん?早く何でもいいから一番早い便で帰ってきて、
お父さん明日手術するの、様態が急に悪くなって、、」

「ちょっと貸しなさい、そんな言い方したら幸子がびっくりするでしょ、
あ、幸子、お父さん私たちがしっかり見てるから、あなたは心配しないで、
また何かあれば電話するから、じゃ、、」

そのまま一方的な電話は切れた。
父の様態が悪くなったらしい。
母と妹は電話の向こうで受話器を取り合いながら喧嘩をしていた。
どんな状況なのか分からずにいた。
家にかけなおしても誰も出ない、
きっと二人とも病院にいたのだろう。

どうしていいかわからなかった。
ただ無意識にコアラちゃんに電話をかけていた。
私には彼女しかいなかった。
コアラちゃんは私の話を最後まで聞かずに電話をきった。

20分もしないうちに彼女がやってきた。
急いできたのかノーメイクに風呂上りのぬれた髪をしていた。
彼女は着いてすぐ受話器をとり、
エアカナダの明日一番の便を押さえてくれた。
その後は
てきぱきと私の洋服をスーツケースに何も言わずにつめてくれた。
私はただ彼女の後姿をぼーっと見ていた。

「今日はここに泊まっていくから、
明日幸子を空港まで送るから、何も心配せずに今日は寝な」

ずっと我慢していた涙が私の目からこぼれた。
優しすぎる言葉のせいだった。

父の手術がうまく行きますように心から祈った。

ただ何もないことを願うしかなかった。

あの電話を受けてからこめかみ辺りが締め付けられるように
痛くなってきていた。
その痛みはどんどん目の辺りまで押し寄せてきて
私の視界を黒い影で覆いだした。

目の前が真っ暗だった。

第41話、悪夢


空港から実家ではなく父が入院している病院に向かった。
一年ぶりの日本だったのに何も目にはいってこなかった。
ただ考えることは父のことばかりだった。

病院について車からおりると玄関に妹がたっていた。
少し疲れたような顔でじっとたっていた。
嫌な予感がした。

「敏子、何でこんなところにたっているの?」

「あ、お姉ちゃん、、、。お姉ちゃんを待ってたんだ、きっと家じゃなくこっちに来るだろうと
思って、、お父さん家に帰ったんだ」

妹は少し笑顔で答えた。
私はしばらくの間言葉の意味がわからず敏子の顔をみていた。
敏子の顔から笑顔が消えたのが見えた。
遅かった、、、
父はすでに家に帰っていた。
涙があふれてきた。何の言葉もでなかった
だた出てくるのは涙だけだった。

父は仏壇の前に寝ていた。
白い布団の上に白い着物を着ていた。
肌は少し黄色みがかっていたが、
まだ生きているようだった。

布団をめくると
父の体の周りにはドライアイスがいっぱい置かれてあった。
かなり冷たいであろう、取り除いてあげたかった。

家について敏子が泣き出した。
ずっと我慢をしていたんだろう、
私は小さい時によくしてあげたように敏子を抱きよせた。
あの時と同じように敏子は泣きじゃくっていた。

母は父の横で泣き崩れていた。
帰ってきた私にただ「ごめんね」
と一言だけ言った。
私は言葉が出ず、母への返答に首を横に振った。

全てが夢であった欲しいと願った。
なかなかおきることができない悪い夢を見ていればいいと思った。

敏子の夫の賢治さんも来ていた。
葬式の段取りか、親戚への連絡か、
電話の対応に忙しそうにしていた。

今まで味わったことのない
辛い辛い夜が過ぎようとしていた。
悪夢だった。

第42話、印


お通夜の夜、父の横に布団をひいた。
母も妹も父と同じ部屋で寝ることになった。
最後に皆で一緒に寝ようと敏子が提案した。
何十年ぶりだったろう父の横で寝たのは。

記憶をたどってみた。
ちょうど私が小学生3年の頃、
一般の家庭にクーラーが普及し始めた。
父が奮発して買ったのか
知らない間に我が家にも一台やってきた。

「今日は本当に暑いな、クーラーでもつけて寝るか」

父がそう言い出すとみなクーラーの付いている部屋に集まった。
小さい部屋に布団を4枚きちきちにひいて寝た。
なんだか修学旅行みたいで楽しかった。
父のいびきがうるさかった。
あまりにうるさいから父の唇を手でつかんでいびきを止めようとした。
つかまれた唇はアヒルのようになった。
敏子は両手で口を押さえてが笑いをこらえていた。
私たちは声をころしながら大笑いしていたのに、
それでも父は寝続けていた。

母も敏子も寝たみたいだった。
私はそっと布団から出ると父の顔をもう一度みた。
手でそっと触ってみた。
まだ父がそこにいた。

隠しておいた油性のマジックペンをパジャマのポケットから
取り出し父の足の裏に
三角形を描くように黒いホクロの様な印を3つつけた。

「いつかどこかで父にまた会えますように、、」

ろうそく一本が灯してあったくらい部屋で一人つぶやいた。

4人で寝れる最後の夜だとは思いたくなかった。
目の前に寝ている父がとても恋しかった。

第43話、夫婦


葬式が終わりホッとしたのか
3人とも風邪をひいた。
寝込むほどのものではなかったが
毎日異常に体がだるかった。
それでも母はスーパーに行き、
毎日3度私たちの為に食事を作ってくれた。
私はそんな母を手伝わず、毎日泣いていた。

綺麗になった幸子はどこかへいってしまった。
そのときの幸子はスェットの上下にノーメイク、
髪はぼさぼさで目は腫れあがっていた。
美人になる前の幸子よりも酷い状態だった。
マイクやニックがその格好をみれば
100年の恋も冷めるようなすごい身なりの女だった。
だがそのときの私はそんな自分の恋を考える余裕もなくなっていた。

敏子の夫の賢治さんは毎日私たちの家から出勤していた。
残業の多いはずなのに
毎日早くかえってきては敏子を労わっていた。
敏子が泣けば彼は彼女をずっと抱きしめていた。
敏子は賢治さんにすべてを預けていた、信用しきっていた。

夫婦のあり方というものを
私より若い二人を見て色々考えた。
父も母も愛し合っていた。
もちろん何度も喧嘩はしていたが、35年も寄り添い、
父が退職してからは、二人でよく国内旅行にでかけていた。
お互いがお互いを必要としていた。

31になってもまだ何がしたいか分からない自分が情けなかった。
恋愛ドラマの主人公のように泣いたり笑ったり、
そんな自分の過去が馬鹿らしくなってきた。
二人の男から言い寄られ、いい気になってもてあそび、
結局手に入れたものは「何がしたいか分からない自分」だけ。

父の死は私に色んな事を教えてくれた。

ただシンプルに
泣き崩れる自分を支えてくれる人が欲しかった。
父のように愛してくれる人が欲しかった。

第44話、貝殻


小さいときに使っていた宝石箱が見つかった。
貝殻で覆われているその箱はあの時のまま綺麗に光っていた。

中を開けてみると色んなキーホルダーの中から
3つのネックレスが出てきた。
一つはある温泉に行ったときに買ってもらった記念コインのペンダント。
後の2つは貝殻でできたネックレスだった。

父は釣りが好きだった。
よく週末は友達と夜釣りに出かけていった。
帰ってくるのはいつも日曜日の昼間、
私は父の帰りをわくわくしてまっていた。
父は釣りが上手だったのか、
大抵釣りから帰ってきた夜は大きな魚が食卓に並んだ。
美味しかった。

たまに2,3日かけて遠出をするときもあった。
そんな時は大抵お土産を私と敏子に買ってきた。
その2つのネックレスがそうだった。

大きな釣竿を肩にかつぎ、
片方の手に大きなクーラーを持ってあるく。
友達と今回の釣りの反省点などを述べながら
歩いていると売店などを見つけるのだろう。
その売店にはピンクや白に彩られたネックレスが飾ってある。
そのきらきらした色は私と敏子の笑顔に見えたのだろうか、
どこへいっても私たちの事を忘れずにいた。
その時の父の気持ちが恋しかった。

私はネックレスをぐっと握りしめた。
涙にぬれた貝殻は私の心とは反対にきらきらしていた。

私は何かを思い出そうとしていた。
似たような感覚を思い出そうとしていた。
それはつい最近感じた暖かいものだった。
だが疲れと悲しみが記憶の線を切っていく、
私は思い出せずにいた。

ネックレスを首にかけなおすとかなり落ち着いた。
父にこれをもらってかけてもらった時の気分になれた。
目をつぶると父が側にいる感じがした。
そのまま目をつぶって父の元へ行きたいと思った。

しばらくして目を開けた。
現実は続いていた。

誰でもいいから教えて欲しかった。
父がどこへ行ってしまったのか。

最終話、幸子


父の葬式の後片付けも終わり
少し一段落していた。

敏子は自分のマンションに帰り、
私は母との二人暮しがしばらく続いた。
毎日することもなく
私はコタツに入りミカンばかりを食べていた。
少しカナダのことが気になり始めていた。

「やっぱり今年も一人かあ、、、、」

私は大きなため息をつきながら独り言を言った。
もうすぐクリスマスが来ようとしていた。

「幸子、カナダの学校どうするの?荷物もそのままじゃないの?」

「え、うん、今それ考えてたところなんだ、、」

私は5つ目のミカンを剥きながら答えていた。

「せっかくなんだから帰って続けなさい、ここに居ても気が沈むだけでしょ、、」

母も寂しいのは分かっていた。
あまりカナダにも未練はなかった。
負け犬幸子と呼ばれていたかもしれないが
そんなことは父のことでどうでもよくなっていた。

「幸子って名前ね、お父さんがつけたのよ」

何度も聞いた話だったが
もう一度聞きたかった。

「お母さんがね、お父さんの名前の源吾の一文字をとって源子にしようって言ったらね、
お父さん急に怒り出しちゃって、そんな名前にしたらいじめられるにきまってる!
とか言ってね、あの人一日机に向かって考えて、
幸子にしようって、、幸せになって欲しいからってね、、
だからあなたは幸せになんなきゃいけないの、
お母さんのことなら心配しなくていいから、、」

父の願いだった。
私が幸せになるのは父の願いだった。

「来週にでもカナダに行って来る、
荷物もそのままだし、、、49日には戻ってくるよ」

カナダに戻るつもりは無かった。
向こうでやっていける体力も残っていなかった。

おとぎの国は太平洋の向こう側にあった。
全てが絵本の中での出来事のように思えた。
私はその御伽噺を終らしたくて
本を閉じるようにカナダでの出来事を忘れようとしていた。

happily ever afterではない御伽噺をその日そっと閉じた。



                      幸子の日記2  -終わりー
                コアラの日記へ続く




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